ツカレナオースとは、「ビールを飲むこと」を意味するパラオ語。

太平洋のミクロネシア地域の島々からなる国 パラオ共和国は、かつて日本の統治下にあったため、現在でも日本でなじみの言葉が数多く使われています。
政治や学問に関する言葉から、日常生活で使われる言葉まで幅広く存在し、パラオ語の単語の約25%が日本語由来の単語であるとされています。

例えば、
  • ショウトツ (乾杯)
  • アジダイジョーブ (美味しい)
  • チチバンド (ブラジャー)
  • サルマタ (パンツ・パンティなどのアンダーウェア)
  • バショ (場所)
  • トーボー (逃亡)
  • ダイトウリョウ (大統領)
  • サッポロイチバン (インスタントラーメン全般)
  • センプウキ (扇風機)
  • センキョ (選挙)
  • ベントー (弁当)
  • アッテル (似合っている)
  • アタマホコリ (だめだなあ・・・)
  • アタマグルグル (混乱している)
  • ヤサスィー (優しい)
  • オイスィー (美味しい)
  • サビスィー (寂しい)
  • クルスィー (苦しい)
  • サムイネ (寒いね)
  • アチュイネ (暑いね) など


その他にも、『ヨロシク』、『アリガトウ』、『ゴメンナサイ』、『マタアシタ』、『モシモシ』など日常でよく使う言葉も普通に使われています。

世界でも有数の親日国家であるパラオでは、子供に日本風の名前をつける人も多く、日本語由来の人名が多く見られます。中には『タナカサン』『タニグチサン』など、さん付けで名前になっている人もいるようです。また、パラオの第5代大統領は日系パラオ人の『クニオ・ナカムラ』さんです。

ちなみに、パラオには、アントニオ猪木さんが名誉オーナーの「イノキアイランド(イノキ島)」があります。


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 パラオ共和国の国旗 出典:wikipedia

上のパラオの国旗は、「青い海に、黄色の満月」という「月の丸」をイメージしています。

日本の国旗の色違いのようにも見えますが、月の中心が左に少しずれれてることが分かると思います。
これは、旗がはためいた時に月が中心に見えるためだとされていますが、「日の丸」を象徴する日本の国旗に配慮して、「満月」の中心をずらすことで日本に敬意を表したという説が残っています。公募された国旗案70点の中から、この国旗が満場一致で選ばれたそうです。





[ネットの反応]

パラオおもれー!(ツカレナオース=ビールを飲む、ショウトーツ=かんぱーい)

パラオでの「乾杯」の意味が「ショートーツ」お酒飲むことが「ツカレナオース」って!!!面白すぎるゼ!!!

ツカレナオース! ツカレナオース!

パラオでお酒呑むことを「ツカレナオース」。 なんか良いな、楽しく飲めそう、「疲れなおーす!」♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

オレの今日のツカレナオースは、ウイスキーの水割り。

パラオで、お酒飲むことを「ツカレナオース」って言うらしいんだけど、それってポケモンセンターで買えそう

ツカレナオースってトリックにでてきそうだね

ツカレナオースとカミハエーリなんとなく似てる

ツカレナオースしてきて非常にお疲れなので、もう寝ようかな……。_(:3」∠)_



[おまけ]

かつて、日本とアメリカの戦争が、現在のパラオ共和国の島のひとつペリリュー島でおきました。
アメリカ軍は、進撃ルートにあったペリリュー島を占領しようと、爆撃機による空襲と戦艦による艦砲射撃と焼夷弾の集中砲火を行い、島内のジャングルを焼き払いました。アメリカ軍の上陸後、日本軍も砲兵陣地の大砲や山腹からの撃砲、ゲリラ戦法による徹底的な組織的抵抗を行い、凄惨を極める戦いが繰り広げられました。

この戦争はペリリューの戦いと呼ばれ、総員 約10,500名の日本軍(陸軍)には補給が一切なかった事に対し、総員 48,740名のアメリカ軍は圧倒的な物量を擁し、ペリリュー島の占領を果たすこととなります。
上陸に際し、「2、3日で戦いは終わる」と公言していたアメリカ軍ですが、上陸開始からペリリュー島の占領まで2ヵ月半かかりました。

ペリリューの戦いによる損害は、日本軍戦死者 10,695名(決死の逆上陸による増援がありました)、アメリカ軍戦死者 1,794名となりましたが、現地の一般人民は、死者・負傷者ともに0名となっています。
なぜなら、この地が壮絶な戦場になることを予見した日本軍が、戦闘の起きる前に現地の住民を強制退避させていたからです。

かつてペリリュー島に住んでいたある老人の話が残っています。

ある老人が若い頃、日本兵と仲良くなり、戦況が日本に不利となった時、他の若者達と共に「一緒に戦わせて欲しい」と日本兵隊長に進言しました。
そうすると、「帝国軍人が貴様らなどと戦えるか!」と激昂されてしまいます。『これまでの友情は見せ掛けだったのか…』と裏切られた想いで、皆、悔し涙を流しました。
失意の中、島を離れる船に乗り込みました。その船が島を離れた瞬間、大勢の日本兵が手を振って浜へ走り出てきました。そこには、笑顔で手を振る隊長の姿もありました。
その時初めて、隊長が激昂したのは自分達を救う為だったのだと悟りました。


日本のパラオ統治が国際連盟に認められた1920年から終戦の1944年まで、20年以上を共に過ごし、パラオ人と日本人が友情を育んだという事が見て取れます。
パラオでは、日本の統治時代に病院や学校の建設、道路の敷設が進んだそうなので、仕事の終わった夜には「ツカレナオース」「ショウトツー」と言いながらお酒を酌み交わし、笑い合っていたのでしょう。

そして、何より日本人が忘れてはいけない事は、終戦後にペリリュー島に帰ってきた島民たちが、島中に散乱する日本兵の遺体を見て非常に悲しみ、遺体を埋葬してくれたことです。

戦争を肯定するつもりはありませんが、日本軍がペリリュー島を軍事拠点のひとつとして整備したことで、このような戦禍に晒してしまったにもかかわらず、今でも親日でいてくれる人がいるなんて本当に素敵な話ですね。

ちなみに、第5代大統領 クニオ・ナカムラ氏もペリリュー島の出身で、幼少期にペリリュー島からパラオ本島アイメリークに疎開した経験があるそうです。


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